2009年7月 1日
ビートルズのデビュー
曲を録音する段階で、ジョージ・マーティンは誰をメイン・ヴォーカリストにするか悩んだという。当時は特にリズム・アンド・ブルース系やドゥーワップ系のグループなどでは、「リード・ヴォーカリスト&バックコーラス、又は、リード・ヴォーカル・ウィズ・バックバンド」という形式が多かったためである。その他、スターを1名プッシュして売り出すという目的もあった。マーティンは当初はポールをリード・ヴォーカルとして押し出すつもりであったが、結局ジョンとポールの2人を押し出すことに決定した。デビュー曲は「ラヴ・ミー・ドゥ」でイギリスではそこそこのヒット曲だった。また、英国での2回目のシングルレコードのプリーズ・プリーズ・ミーのNo,1ヒットから英国ナンバー1のグループになる。また、英国でのデビュー・アルバムの『プリーズ・プリーズ・ミー』もイギリスで30週間ナンバー1の記録を達成している。この記録は未だに誰からも破られてはいない。そして、彼等のセカンド・アルバムの『ウィズ・ザ・ビートルズ』が発表になり、このアルバムもまたイギリスで『プリーズ・プリーズ・ミー』に替わり22週間の間ナンバー1になり、ほぼ1年に渡りイギリスのアルバムチャートの1位を占領した。
一方ブライアン・エプスタインの営業努力にもかかわらず、「ラヴ・ミー・ドゥ」、「プリーズ・プリーズ・ミー」、「フロム・ミー・トゥ・ユー」及び「シー・ラヴズ・ユー」は、アメリカでは全くヒットしなかった (大手レーベルからの発売さえできなかった) 。しかし「抱きしめたい」がアメリカでナンバー1になり大成功して以降、上記4曲も加えてビルボードの上位を占める等、アメリカもビートルズ旋風一色となった。
それを含め大ヒット曲の連発で、ポピュラー音楽の歴史が彼等によって塗り替えられて行く事となる。また、「抱きしめたい」のシングル盤は世界で1200万枚以上の売り上げがあり、歴代でも世界のトップクラスのセールスを記録した。アメリカでは、次作のシングル「キャント・バイ・ミー・ラヴ」が予約だけで210万枚に達し、またイギリスでも予約枚数が100万枚になり『ギネス・ワールド・レコーズ』には最も予約枚数があったレコードとして記載されている。 また、ヴォーカルの方面では「シー・ラヴズ・ユー」「抱きしめたい」などの、ジョンとポール二人で歌っているうちの、「どちらがリード・ヴォーカルのメロディーなのかわからない曲」や、「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」などのように「1曲の中でソロパートとして、2人が歌い分ける曲のパターン」、「エイト・デイズ・ア・ウィーク」「デイ・トリッパー」などのように「最初はジョンやポールがリード・ヴォーカルだが、いつの間にかハーモニーやバックコーラスに回り、リード・ヴォーカルが交代してしまうパターン」などの形態がある(これらは主に二人の声の高低をカヴァーしたことに起因する)。コンサートツアーの方はアメリカで成功したため、他の国での成功をも確信したことから、世界ツアーに行く事になる(当時はアメリカで大ヒットするだけでは不十分だった)。1964年のオーストラリア公演では、リンゴが扁桃腺炎の為、一時期リンゴの代役としてジミー・ニコルがドラマーとして参加する。またリンゴが復活し、オーストラリアのアデレード公演の際、ビートルズがアデレード市のタウン・ホールに出現した時は30万人のファンがタウン・ホールに詰め寄せたという。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
とても静かな日曜日の午後はビートルズを聞きながら、コーヒーを飲みたくなります。
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